ムリスルマジメの学び暮らし

 元小学校教員が考えたことを発信するブログです

スポンサーリンク

【体験談】教員初任者編④「一生忘れられない子ども」

f:id:murisurumajime:20190131112435j:plain

 

  

こんにちは!ムリスルマジメです!

 

 

今回は『教員時代を振り返る『初任編④』一生忘れられない子ども』という話

 

 

前回、初任編③として教員時代を振り返りました。主に学年のメンバーに恵まれ、学年という集団で学んだことを書きました。人に恵まれたからどうにかなった初任の頃の私・・・今回はその逆でどうにもならなかったことをお話しします(笑)引き続き初任の頃の話にお付き合いください!

 

 

 前回の記事はこちら

 

 

 
  

1.一生忘れられない子ども

 

 

学級経営で苦しんでいた初任の頃の私ですが、それには明確な原因が一つありました。それは引き継ぎの時点で「注意する必要がある」といわれていた一人の男の子です。

 

 

その子は「学力が低く、運動も苦手、わがままな性格から友達との関係もよくない。教師への反抗的な態度も見られる」という子(A君)でした。

 

 

「注意する必要がある」と言われた私ですが、それ以外にも注意しなければいけないことはたくさんあるわけで、何か特別な対策をとれる状態ではなかったのを覚えています。

 

 

なので「やってみて考える精神」で、A君と向き合う日々が始まりました。

 

 

やってみるとA君は他の子とは明らかにちがいました。

 

 

まず授業中は何もしません。席には座っていますが、こちらが声をかけても「うるせぇ」「やんねぇ」の二言で終わり。

 

 

さらには周りの子にちょっかいを出したり、集団活動で周りの子ともめてしまうことは日常茶飯事。

 

 

そしてすぐに感情的になり手が出ます。A君が近づくだけで嫌がる子もいました。

 

 

私は叱りました。そして反抗されました。

 

 

時には強い言葉もA君にぶつけました。しかしそうすればするほどA君の反抗的な態度は強くなっていきました。

 

 

さらにA君に便乗して反抗的な態度をとる子(B君)がでてきました。今考えれば崩壊への道をまっしぐらだったように思います。

 

 

こちらも必死に戦いました。そう、戦ってしまいました。

 

 

結局、A君とB君の2人は私のいうことを聞かなくなってしまったのです。

 

 

他の子がしっかりとやれていたことと補助の先生がいたからよかったものの、1人だったら学級崩壊していたかもしれません。

 

 

私はA君を一生忘れないでしょう。

 

 

2.何もできなかった自分

 

 

「一生忘れないでしょう。」なんて書くと恨み節のように聞こえるかもしれませんがまったく違いますのでご安心を(笑)

 

 

私がA君を忘れられないのは「申し訳ない」からです。

 

 

さっきの文を書いていても思いましたが、やはり自分が未熟すぎたという想いが強くあります。

 

 

A君は当時4年生。その前もその後も彼は苦しい想いをしていたのではないかなと思っています。それを助けることができなかったのです。

 

 

子どもが反抗的になる時に一番苦しいのは本人です。当時はそんなことを考える余裕もなく反抗的な子どもに本気でイラついていました。

 

 

もう未熟すぎて情けなさすぎて・・・

 

 

とにかく反抗的な2人に何もできなかった自分。それだけなのです。

 

  

3.今、思うこと

 

 

時が流れてこんなことがありました。

 

 

彼らが卒業するときに元担任としてプレゼントをもらう機会がありました。私にプレゼントを渡す担当はB君。少しうつむきながら「ありがとうございました。」といってくれました。後日、担任からB君が私の担当に立候補してくれたことを聞きました。

 

 

またA君にはA君が中学生になって登校している時に偶然会いました。「おはようございます」と丁寧に頭を下げて挨拶をしてくれました。何だか立派に見えたんだよな~

 

 

私は2人にうれしい気持ちをもらいました。今、私は「何もできなくてごめん!ありがとう!応援してるぞ!」と思っています。

 

 

教育って本当に難しくて本当に素晴らしいです。

 

 

4.まとめ

 

POINT

・当時の私は反抗する子ども達といい関係が築けなかった

 

・叱って、戦って、真剣だったけれど何もできなかった。

 

・今は彼らに「ありがとう!」と「応援してるぞ!」といいたい。

 

 

彼らは今、何をしてるのかなとぼんやり考えたムリスルマジメでした。