ムリスルマジメの学び暮らし

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【体験談】教員初任者編⑤「続・一生忘れられない子ども」

 

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こんにちは!ムリスルマジメです!

 

 

今回は『教員時代を振り返る『初任編⑤』続・一生忘れられない子ども』という話

 

 

前回、初任編④として教員時代を振り返りました。私の初任の時のクラスにいた手のかかる子の話。自分の未熟さを痛感する一方で今では良い思い出となっています。そして彼がもう高校生だと思うと時の流れを感じます。今回は初任の時のクラスの他の子たちについての私の考えを話したいと思います。

 

 

 前回の記事はこちら

www.murisurumajime.site

 

 

 

 
  

1.続・一生忘れられない子ども

 

  

前回の記事に出てきたA君やB君以外にも私が担任をしていたクラスには約30人ほどの子ども達がいました。

 

 

A君やB君と戦う中でも、他の子達との関わりが1年間あったわけです。

 

 

しかし正直な所、A君とB君以外の子の名前が全員すらすら出てくるかと言われたら難しいです。

 

 

でもA君やB君の名前はすぐに出てきます。

 

 

そこで私は思うのです。

 

 

「手のかかる子ほど印象に残ってしまうのはどうなのだろう?」

 

 

「他の30人だって一生忘れられない子どもと思うべきではないのか?」

 

 

そう思うきっかけとなる体験が私の小学校6年生の時にありました。

 

 

2.自分の小学校6年生の時の体験

 

 

私は小学校時代に自分で言うのもなんですが優等生でした。太っていたために運動は少し苦手でしたが、勉強はでき、友達も多く、先生からも信頼されていたと思います。また習っている得意なスポーツがあったので、運動が苦手という印象も自分の中ではさほどマイナスにはなっていませんでした。

 

 

そんな中、6年生の時に学級崩壊が起きました。

 

 

先生は馬鹿にされ、反抗的な態度の子どもが日に日に増えていきました。そして授業中に漫画を読んだりゲームをしたりする子ども達。(文章にすると中々ですね・・・)

  

 

校長先生がクラスにやってきて「遊びたい人は空き教室に行きなさい」といって半分くらいの子どもが空き教室にいく始末。

 

 

そんな中でも真面目に学校生活を送っている私はいじめの対象になりました。よく覚えていないのですが(嫌な記憶を忘れようとしているのだと思います)Tシャツをビリビリに破かれて帰ってきた時もあったそうです。

 

 

確かに6年生では友達と遊んだ記憶があまりありません。覚えているのは休み時間は寝たふりをしていたということ。

 

 

もしかしたらかなりやられていたのかもしれません。

 

 

そんな真面目にやっているいじめられっ子よりも手のかかる子の対応で精一杯の教師。私はそんな教師に不信感を抱きました。

 

 

毎日が辛く寂しかったのかもしれません。

 

  

かなり特殊な事例ですがこのような体験から「手のかかる子ほど先生との関りが増える」ことに私は違和感を感じるのです。

 

 

真面目な子がいるだろう!辛い想いをしている子がいるだろう!

 

 

しかし自分が教師になった時には手のかかる子に時間をかけてしまいました。そして今でも真面目な子やA君に嫌な想いをさせられていた子はどう思っていたのかと考えることがあるのです。

 

 

3.今、思うこと

 

 

今では私が辛い想いをしている敏感すぎる少年だったから「手のかかる子ほど先生との関りが増えること」に違和感を感じていたのだと思います。

 

 

実際、手のかかる子との関りが増えるのは当然のことです。しかしその一方で子ども一人一人を見る時間が絶対に必要だと私は思っています。

 

 

「手のかかる子どもへの対応で精一杯になることはある。しかし、それは決していいことではない。」

 

 

「教員は一人一人を見ることができる力をもつ必要がある。」

 

 

これが今の私の考えです。

 

 

4.まとめ

 

POINT

・手のかかる子以外の子も一生忘れられない子どもになっていいのでは?

 

・私は「手のかかる子ほど先生との関りが増える」ことに違和感を感じる

 

・手のかかる子に時間をかけるのは当然だが、一人一人を見る力も必要だ

 

 

これにて初任編終了!ムリスルマジメでした。